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吉備人出版・金澤健吾の編集日和です。
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8月×日
TV局の撮影スタッフに同行して経営者の取材。この日は女性経営者。社長室に置かれて家具は、ちょっと高級そうなアンテーク調。そんなに広くない部屋に撮影用の照明器具を設置しTVカメラを据えてアナウンサーが陣取ると、私の写真を撮る位置は限られる。これでよい写真が撮れるのか一。もう35年ほど前、前の職場の新聞の人欄で女性を撮って、新聞掲載したことがある。その女性にとって掲載した写真は気に入らなかったようで、今でも「あんな写真を使って」と思っているらしいと伝え聞く。女性の顔写真は美しくと、気をつかう。とはいえ、上手ではない腕で撮った写真の中から、一番良いと思われるものを使うしかない。
8月×日
高梁川関係の記念誌を制作中に起こった豪雨災害。決壊したのは高梁川ではなく、その支流の小田川だが、今回の豪雨災害に触れないわけにはいかない。市長のあいさつ原稿も差し替える。予定されていた国土交通省の改修工事は前倒してとりかかるそうだが、どう書くか一。今後の施設のあり方を説くのは難しい。各方面の調整が必要で、スケジュールも修正が必須。天災地変。何が起こるか分からない。末端の細部までに影響がある。
8月×日
『治水工師ムルデルと共に』が完成し、資料解説や監修をお願いし、制作途中で亡くなった太田先生宅に、編者と一緒に完成の報告にうかがった。A5判、760ページ、上製本、函入りという重量感のある書籍。2014年ごろから取り掛かったので、4年がかり。内容は高校社会部の研究発表の原稿、その社会部の指導顧問の研究原稿、そして児島湾開墾に関する古文書の史料集という3部構成になっている。特に史料集の中の野﨑万三郎に関する古文書は新しく発見された一次資料。「児島湾干拓史」を研究するには欠かせない新史料だ。市販を勧めてきたが、編者は私家本に固守。研究者にこの書籍の存在を知らしめたいが、何ともし難く歯痒い。
8月×日
この日は早朝出勤。午後からの編集会議に提出するゲラの準備ができていなかった。作業量の多い仕事があると、小さな仕事を片付けて、時間を確保してからでないと取りかかれない。小さな仕事が多ければ、作業量の多い仕事がずっと後回しになり、遅れてしまう。いつもギリギリに。この構造からなかなか抜け出せない。少し前に大きな仕事が1つ片付いたから、この作業量の多い仕事が終われば、青空が見えてくる。先は見えてきたので、もう一踏ん張り。
8月×日
1つの町が洪水で水没。誰も想像もできなかったことが現実に。町中の住宅の中にあった家財が全て廃棄物に。商店や企業の商品や資材、機材、書類もパソコンデータも何もかも無くしてしまう。嘘のようなことが現実になってしまった。物のはかなさを感じると共に、デジタルアーカイブを普及させる重要さを改めて感じる。岡山からデジタルアーカイブの波を。デジタルアーカイブ事業が本格化しようとしている。

記録更新の猛暑続き。岡山市の花火は中止。朝の公園の蝉がやかましい。
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西日本豪雨特集3
工事中
豪雨による真備町冠水から3週間。土曜の夕方、実家に寄る道筋にもなる真備町の主要道路を通り、知人の店に寄った。道路脇に積み上げられていた家財は少なくなっていたが、側道を少し入れば、まだゴミは山積みにされている。知人の家も2階まで濁流が押し寄せ、1階の床をはがして床下の片付け中だった。板を少し運んで、話を聞いた。「ボランティアが来てくれたので片付いている。ボランティアがいなかったら少しも片づいていないよ」と開口一番。猛暑の中で、家族だけでは何もはかどらないというのはよく分かる。それから「これは人災だよね。決壊すると水に浸かるのは分かっていたんだから」とも。彼が心配していたのは、浸水した家の住人が住み続けるかということとと、農業をするする人がいなくなるということ。保険で家が建て替えればよいが、転居を考える人もいるようだ。また、浸水した農地は泥をかぶり、農業機械が水没しているなかで、高額な農機を買ってまで農業を再開する人がどのくらいいるか…。厳しい現実だ。
台風前の風で、砂埃が町中を舞っていた。この埃は消えるには、何度の雨に流されないといけないのだろう。何年待てば、元の町に戻るのだろう。

この地域の高齢者は、過去に町が浸水したことを伝え聞いていた。ハザードマップも町が浸水することを告げていた。国交省も、高梁川の洪水時には小田川が逆流することを知っていた。にもかかわらず…。

にもかかわらず…。28日の地元新聞によると、国土交通省が小田川の中州に茂った樹木の伐採に緊急着手したという。真備町地区住民らは以前から早期伐採を再三求め、県も5月、こうした地元要望を国に伝えていた。同地区の避難所に身を寄せている女性(69)は「川の中の樹木が生い茂り、根元に枝木やごみが絡まって流れが悪くなることを心配していた。もっと早く対応してもらえれば少しは状況が違ったかもしれない」と話す、とある。中州や河川敷の樹林化は増水時に川の流れを妨げる上、流木やがれきが引っかかるとさらなる水位上昇を招く恐れがあり、国が2010年に策定した河川整備計画は「小田川の流下能力不足の原因は高梁川からの水位上昇に加え、河道内の樹林化がある」などと記載。今秋にも着工する高梁川との合流地点の付け替え工事に加え、中州の樹木伐採などを治水対策として盛り込んでいる、としている。
2010年に小田川の河川整備計画を策定したが、手つかずだったわけだ。地元から「人災」の声が上がってもしかたない。

さらに、同じ地元新聞に、小田川中洲の樹林化と今回の堤防決壊との因果関係については、「影響はゼロではないだろうが、詳細に検証しなければ分からない」と河川工学の専門家が言って、現時点で影響の度合いは判明していない、インタビューに答えている。中洲に樹林が茂っている川と樹林のない川と、どちらの流れがスムーズか、模型で実験してみればよい(実験するまでもないが)。専門家ならではの、異常に慎重な発言をしている。

ついでに、小田川と高梁川との合流点を約5キロ下流に移す河川整備計画の総事業費は約280億円。この費用を最近話題の防衛費と比べると─。

政府が購入を予定している輸送機オスプレイを1機が211億円。17機購入で3600億円。F35戦闘機は1機200億円弱で、6機を導入予定で1072億円。また、2023年度の運用開始を目指す地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」取得費用は2基で約4000億円。搭載ミサイルの購入費などを含めると総額で6000億円近いという。

これまでの常識が通用しない異常気象が続くといわれ中で、全国の河川氾濫や土砂災害の対策費にもっと回すべきでは。
西日本豪雨災害特集2
工事中

真備町は、面積の4分の1にあたる約1200ヘクタールが冠水し、約4600戸が浸水被害を受けたと推計されている。2階の天井まで浸かったというから4、5mの濁流が押し寄せ、51人が亡くなった。自衛隊や消防、警察約990人がヘリ11機とボート50隻を使って孤立した住民の救助にあり、排水が悪いためにポンプ車23台が出動し、24時間体制で排水作業を始めた。36年ぶりの大水害という。

真備地区で起こった水害を長い歴史から見ると、珍しいことではない。冠水などの被害を『真備町史』から書き出してみると、明治13年、明治19年、26年、31年、33年、大正5年、8年、9年、15年、昭和9年(室戸台風)、20年、26年、35年、44年、47、51年。今年とほぼ同じように小田川だけでなく、高馬川、末政川など支流も決壊して冠水している。
大正の初めに東西の高梁川を1本にする大改修をするが、逆流の問題は解決していない。この工事後にも逆流問題の解決をするように、県知事宛に地元から陳情している。昭和24年には「小田川治水期成同盟会」が結成され、柳井原貯水池を撤廃して小田川合流地点の変更を請願する。その後、部分的に堤防の補強工事をするが、そのまま放置していた。

今回の冠水も過去の水害と同じように、洪水時に高梁川の水が小田川に回り込み、小田川の流れが阻害されて水位が高くなる「背水影響」(バックウォーター現象)という現象が起きていた。地元の議会関係者や役場、国交省の河川事務所の関係者は過去の災害と洪水時に小田川とその支流が逆流現象が決壊することは知っていたはず。少なくともハザードマップでも浸水することは知っていた。にもかかわらず………。国の小田川堤防調査委員会の委員の一人の専門家は「もっと研究者も行政も住民に伝えて危機感を持つべきだったと悔やんだ」(朝日新聞7月12日)という。国交省は遅れに遅れて、小田川を柳井原貯水池を通し、高梁川との合流点を約4.6km下流へ付替える計画した。今年の平成30年秋に着手し、完成予定は10年後だった。

平成30年7月に真備町が冠水することを予測した人はいないかもしれないが、いつか起こると考えていた人は関係者の中にいたわけだ。「想定外のことが起きた」とは言えない。過去の災害を振り返れば予測できた。やるべき対策を怠った。今回の災害は「人災」とも言える。「人災」と考えて、今後の災害対策を検討するべきだろう。
西日本豪雨災害特集1
 
明らかになってきていることの一つに、堤防の決壊が小田川に注ぐ支流の末松川と高馬川、真谷川の5カ所と合わせて合計8カ所が同時に決壊していることがある。支流はいずれも住宅地より高い所を流れる天上川。自然堤防を補強した程度のもの。専門家は、支流が同時多発的に決壊したことが甚大な被害に広がった可能性もある、と。増水は急激な豪雨によるが、堤防の決壊が8カ所も同時多発というのは不自然。

6日夜から7日の災害情報は—。7月6日午後10時に真備地区全域に「避難勧告」。午後11時45分に小田川の南側の地域に「避難指示」。7日午前0時30分の氾濫発生情報発表。7月7日午前1時30分に小田川の北側の地域に「避難指示」。国土交通省岡山河川事務所によると、7日午前1時半ごろ、倉敷市から「地区の広い範囲が水につかった」という情報が寄せられたとしているそうだ。NHKが救助を要請するツイッターの投稿について、場所や投稿された時刻を調べている。最も早いツイートは、「氾濫発生情報」が発表されてから3時間後。救助要請の投稿は午前5時すぎから急増する。午前5時台は中心部の投稿がほとんどで、その後は小田川の上流や下流など、地域の周辺部にも広がっていったということだ。

では、決壊はいつ発生しているか……。6日11時35分から7日午前0時30分の氾濫発生情報発表までの間。なぜなら、6日午後11時35分ごろに、総社市下原にある朝日アルミ産業の工場で大爆発があり、爆風で民家や店舗の窓ガラスが割れるなどした。この衝撃は岡山市中心部や高梁市などで爆発音と振動が確認されている。かなり大きな衝撃を発生させているわけだ。原因について、県警は冠水によってアルミを溶解する炉に水が流れ込んで化学反応を起こした可能性があるとしている。工場は高梁川沿いに立地し、小田川まで3キロほど。この爆発の衝撃は壊れた堤防にも、ダイレクトに伝わっているはずである。小田川とその支流で、「同時多発的」に8カ所も決壊しているのは、この爆発に起因きているのではないか。

もちろん、排水の悪い小田川と高梁川の増水と重なり、小田川への「逆流」現象が起きていた。堤防の各所に負担がかかっていたところに、大きな揺れが発生して同時多発になったのでは。「逆流」現象だけで小田川の本流の堤防が被害を受けるなら分かるが、支流の5カ所が、しかも同時にというのは、この爆発の影響を考えるのが自然ではないか。

6日夜から7日の時間経過は—。
■6日午前11時30分、「避難準備・高齢者等避難開始」発令。
 ↓
■6日午後10時、真備地区全域に「避難勧告」。
 ↓
■6日午後11時45分 、小田川の水位が急激に上昇のため、小田川南側の地域に「避難指示」。
 ↓
■6日11時35分、アルミ工場で大爆発。
 ↓
■7日午前0時30分(47分)の氾濫発生情報発表。
 ↓
■7日午前1時30分、高馬川の堤防が越水し小田川の水が北方向に流れ込んだため、小田川北側の地域に「避難指示」。
 その後、地区の約3割にあたる1200ヘクタールが浸水。
今のところ、アルミ工場の爆発と決壊時刻を関連づけるマスコミも専門家もいない。
7月×日
『しろさんのレモネードやさん』がアマゾンの絵本部門で5位。出版社が岡山県、著者グループが神奈川県。エリアが広く、関わる人数も多い。著者グループの動きがさらに多くの人を巻き込んでで、この絵本を並べて、コーナーをつくっている書店が増えているようだ。神奈川新聞や中国新聞朝でも、絵本を取り上げて紹介してくれている。NHKニュース「おはよう日本」も取り上げてくれたうえ、「NHK NEWS WEB」で紹介している。しろさんの「小児がんのことをもっと知ってほしい」という願いが広がっている。
7月×日
大雨のため、録音と写真撮影を依頼されていた講演会が中止になった。城東高校と就実大学の2カ所で予定されていた講演だったが、JRの路線が不通になり休校となった。数日前に台風が過ぎてから、台風でもないのに梅雨前線が居座り、ここ数日、強い雨が続いている。帰りに車で番町交差点を左折して西に向かうとすぐに渋滞が始まっていた。JRが止まっているせいで、車を使う人が増えたのだろう。県下全域に大雨特別警報が発令が出て、明日も明後日も大雨の予報。西日本に災害の危機が迫る。
7月×日
岡山県内各地で被害が相次いでいる。土砂の流入や河川の氾濫などの豪雨災害で、県内の死者は10人を超えそう。床上・床下浸水は569棟。約40万9000世帯の約90万4700人に避難指示・勧告が出され、避難所は22市町村の384カ所に設置された。特に倉敷市真備町の小田川決壊による氾濫で地区全域の約30%弱が建物の2階付近まで浸水。実家に帰る時などによく通る道でもあり、マスコミで報道される住宅地の浸水の模様は悲惨である。被災された方々にお見舞いを申し上げる。
7月×日
小田川の氾濫は、過去に頻繁に起きている。江戸時代から大正4年までの間に、26回以上発生している。『真備町史』には、「水害と治水」として章が設けられているほどだ。単純に計算すれば12年に1回も起こっている。ただ、この数は高梁川の氾濫数も入っている。小田川は、西から東へ流れ、北から南へ流れてくる高梁川に注ぐ。高梁川の水かさが上がっている場合、小田川の排水が悪くなって逆流し、小田川の堤防に負担がかかって決壊する。高梁川は大正時代に大改修されている。来年、小田川の河口の道筋を南につけ替える工事が予定されていたというから、残念だ。
7月×日
6月末が原稿締め切りの著者に、メールで督促をしていた。7月になってすぐ、著者の奥様から電話があり、入院して脳の手術をされたという。週末、病院へお見舞いにうかがうと、廊下を奥様と一緒に歩いておられた。病室で話をうかがうと、自宅での仕草が不自然になってきたので救急で入院してきたという。例えば、できていたスマホやパソコンの操作が次第にできなくなり、どうしたらいいか、尋ねるようになったそうだ。話をしても「あれっ、あれっ」と言いたい言葉がすぐに出なくなったなど。頭の血管に問題が発生したようだ。早い対応と病院での処置が功を奏したようで、10日ほどで退院できるそうだ。
プロフィール
HN:
執筆:金澤健吾
性別:
男性
自己紹介:
吉備人出版 取締役。
方谷研究会。
おかやま自転車ネット。
twitter/kibitoman
岡山の古代・中世・戦国・近世など郷土史大好き。岡山本も大好き。自転車、ジョギング、自然好き。ジャズ、ロックなど音楽好き。子育て中。
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