娘が夏休みに制作して応募していた「第1回おかやま自慢のご当地グルメ壁新聞コンクール」(主催:おかやまご当地グルメまちづくりネットワーク)に入賞したので、家族で表彰式に出かけてきた。http://os7.biz/u/LpLBj
会場は「おかやまご当地グルメフェスタin備前」の開催場所にもなった備前焼伝統産業会館。表彰式は「おかやまご当地グルメフェスタin備前」の初日。雨にもかかわらず、それなりの人出だった。出店していた各ご当地グルメのブースのスタッフも、駐車場のお兄さんも雨に濡れながら働いていた。
気になっていたのは、会場に「うまい県 !おかやま」のキャッチフレーズが入った宣伝物があるかどうかだった。私の見方が悪かったのか、あったのかもしれないが、目にすることはなかった。帰宅して、岡山観光連盟や「おかやまご当地グルメまちづくりネットワーク」などのウェブサイトを見てみたが、「うまい県 !おかやま」の文字は見当たらない。
今年の7月頃には地元紙の新聞紙面で、「ノボリやTシャツを作成して浸透するようにPRしいく」と県の観光課職員が述べていた。県内での浸透ができていないのだから、県外、しかも東京や大阪でのPR効果はかなり厳しいのでは。一昔前なら億単位の予算で観光キャンペーンを組んだのだろうが、それは難しいのが現状だ。わが家の小学生も「うまい県 !おかやま」は知らなかった。
第一、「うまい県」というのは、県民としてはなじまない。岡山県民は「うまい」などとは言わない。岡山弁協会特別顧問の青山氏が解説するように、岡山弁は2つの母音が続くと変化し、「ai」は「え〜」になるのが法則。「うまい」(umai)は「うめぇ〜」となる。「うめえ〜県」ならまだしも、「うまい県」では、よそ行きの感じがして居心地が悪い。
もし低予算で観光PRしていくなら、キャッチフレーズは「うめえ〜県」にして、ヒツジをキャラクターにしたイラスト入りのポストカードを作成し、県民に配布する。知人に郵送してもらい、破られても捨てられても無視されても、出し続けるてもらう、という戦略はどうだろう。題して「メリーさんのヒツジ作戦」。県職員もノルマにして郵送しまくる。そして、桃太郎がヒツジを引き連れて、日本中のマスコミを回ってキャンペーンに出る。
観光PRのキャッチフレーズを定着させるのは難しい。「うどん県」の香川県は2011年度に観光PR予算を7000万円ほど使ったらしい。お金の問題もさることながら、このキャッチフレーズを定着させるという熱意を来年度に引き継げるかがまず問題だ。
長野知事時代に「燃えろ岡山 県民運動」というのがあった。莫大な予算を使い6期24年の中で訴えかけてきたが、県財政が「炎上」しただけだった。今ではすっかり忘れ去られ、それを口にする人はいない。
「うまい県 !おかやま」はどんな運命をたどるのか。キャッチフレーズにかかわらず、県内のご当地グルメが盛況になっていくことを望むばかりだ。
会場は「おかやまご当地グルメフェスタin備前」の開催場所にもなった備前焼伝統産業会館。表彰式は「おかやまご当地グルメフェスタin備前」の初日。雨にもかかわらず、それなりの人出だった。出店していた各ご当地グルメのブースのスタッフも、駐車場のお兄さんも雨に濡れながら働いていた。
気になっていたのは、会場に「うまい県 !おかやま」のキャッチフレーズが入った宣伝物があるかどうかだった。私の見方が悪かったのか、あったのかもしれないが、目にすることはなかった。帰宅して、岡山観光連盟や「おかやまご当地グルメまちづくりネットワーク」などのウェブサイトを見てみたが、「うまい県 !おかやま」の文字は見当たらない。
今年の7月頃には地元紙の新聞紙面で、「ノボリやTシャツを作成して浸透するようにPRしいく」と県の観光課職員が述べていた。県内での浸透ができていないのだから、県外、しかも東京や大阪でのPR効果はかなり厳しいのでは。一昔前なら億単位の予算で観光キャンペーンを組んだのだろうが、それは難しいのが現状だ。わが家の小学生も「うまい県 !おかやま」は知らなかった。
第一、「うまい県」というのは、県民としてはなじまない。岡山県民は「うまい」などとは言わない。岡山弁協会特別顧問の青山氏が解説するように、岡山弁は2つの母音が続くと変化し、「ai」は「え〜」になるのが法則。「うまい」(umai)は「うめぇ〜」となる。「うめえ〜県」ならまだしも、「うまい県」では、よそ行きの感じがして居心地が悪い。
もし低予算で観光PRしていくなら、キャッチフレーズは「うめえ〜県」にして、ヒツジをキャラクターにしたイラスト入りのポストカードを作成し、県民に配布する。知人に郵送してもらい、破られても捨てられても無視されても、出し続けるてもらう、という戦略はどうだろう。題して「メリーさんのヒツジ作戦」。県職員もノルマにして郵送しまくる。そして、桃太郎がヒツジを引き連れて、日本中のマスコミを回ってキャンペーンに出る。
観光PRのキャッチフレーズを定着させるのは難しい。「うどん県」の香川県は2011年度に観光PR予算を7000万円ほど使ったらしい。お金の問題もさることながら、このキャッチフレーズを定着させるという熱意を来年度に引き継げるかがまず問題だ。
長野知事時代に「燃えろ岡山 県民運動」というのがあった。莫大な予算を使い6期24年の中で訴えかけてきたが、県財政が「炎上」しただけだった。今ではすっかり忘れ去られ、それを口にする人はいない。
「うまい県 !おかやま」はどんな運命をたどるのか。キャッチフレーズにかかわらず、県内のご当地グルメが盛況になっていくことを望むばかりだ。
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有名カメラマンになる方法を教えよう。ゼッタイになれる方法だ。
といっても、高級カメラも高い技術も、センスも必要ではない。ただ普通に景色が撮れるだけでいい。最近のデジタルカメラだと、数万円のもので十分である。
カメラは粗末でもよいが、少しの「根気」は必要である。街の風景写真を撮り続ける「根気」だ。数十年にわたって、街の変化を撮っていくのだ。マンションが建つと聞けば、そこにある建物やその周辺の通りを撮っておく。人々のファッションや、自動車など、その時代が反映されているものも一緒に撮っておくとよい。街のイベントなどもこまめに撮っておく。人の表情なども写しておこう。そして、その写真が何で、いつ、どこで撮ったかのコメントも残しておこう。
街の全域を網羅して、これらの写真を撮りためていけばいいのだ。それを50年以上、半世紀は続ける。そして最初に始めた年から50年後に、貯めた写真から変化の激しい街並や無くなった建物をセレクトし、それと同じアングルから撮った最新の写真を並べた写真集を発刊する。これで、あなたはその街の有名カメラマンになれる! 変化の激しい街ほど、その評価は上がるだろう。
この春から制作を手伝っていた『岡山市今昔写真集』(A3判、上製本、160頁、樹林社)が発売になった。約200枚の古写真を載せている。この写真集の古写真を、1人で撮っていたら、そのカメラマンはスゴいことになる。
あえて言えば「根気」ともう一つ、長生きすることも必要だ。
といっても、高級カメラも高い技術も、センスも必要ではない。ただ普通に景色が撮れるだけでいい。最近のデジタルカメラだと、数万円のもので十分である。
カメラは粗末でもよいが、少しの「根気」は必要である。街の風景写真を撮り続ける「根気」だ。数十年にわたって、街の変化を撮っていくのだ。マンションが建つと聞けば、そこにある建物やその周辺の通りを撮っておく。人々のファッションや、自動車など、その時代が反映されているものも一緒に撮っておくとよい。街のイベントなどもこまめに撮っておく。人の表情なども写しておこう。そして、その写真が何で、いつ、どこで撮ったかのコメントも残しておこう。
街の全域を網羅して、これらの写真を撮りためていけばいいのだ。それを50年以上、半世紀は続ける。そして最初に始めた年から50年後に、貯めた写真から変化の激しい街並や無くなった建物をセレクトし、それと同じアングルから撮った最新の写真を並べた写真集を発刊する。これで、あなたはその街の有名カメラマンになれる! 変化の激しい街ほど、その評価は上がるだろう。
この春から制作を手伝っていた『岡山市今昔写真集』(A3判、上製本、160頁、樹林社)が発売になった。約200枚の古写真を載せている。この写真集の古写真を、1人で撮っていたら、そのカメラマンはスゴいことになる。
あえて言えば「根気」ともう一つ、長生きすることも必要だ。
時々、論文の抜刷をもらうことがある。抜刷とは、論文集などから自分の執筆部分だけを印刷し簡易に製本した冊子のこと。古い写真の仕事でお会いした朝日高校の後神泉先生からいただいた「岡山朝日高校における「仮装行列」の変遷—黄金期(昭和53年〜56年度)の「出し物」について—」と題する抜刷が、面白かった。「高校の仮装行列」をテーマにした小論文である。
岡山県立朝日高校は、昭和期から体育祭(運動会)の仮装行列の派手さで有名だったようで、その始まりと隆盛期、衰退期を通して歴史的な変遷を考察している。朝日高校は、県立岡山第一高等学校と県立岡山第二女子高等学校が統合して昭和24年にスタートしている。
この小論文では、時代を区切って5期にし、次のような章立てにしている。1期−「純粋」仮装行列の時代(昭和24〜40年度)、2期−「出し物」が練り歩いた時代(昭和41〜56年度)、3期−「出し物」が消えた時代(昭和57〜63年度)、4期−「仮装行列」の沈滞(平成元〜5年度)、5期−3年生による「仮装行列」復活、復活はしたが…。(平7年度〜)。※平成6年度は仮装行列が行われていない。
仮装行列は、朝日高校の前進、第一高等学校時代から恒例行事だったらしく、昭和20年代〜30年代にかけての仮装行列はテーマに沿った衣装と化粧をして行進する程度だった。例えばテーマを「職業めぐり」(昭和26年度)や「世界のカップル集」(昭和34年度)などにして、衣装と化粧を施して仮装し行列になって行進するものだ。「白虎隊」(昭和28年度)や「幕末の動乱」(昭和37年度)のような時代絵巻物的なものやその時代の事件などがテーマになっているものが多かった。
ところが、昭和41年代になって巨大な構造物が突如として出現する。これを「出し物」と呼び、リヤカーを台車にして木材や麻袋などを使い、高さ4mものだったそうである(「トロイの木馬」3年G組)。この時期はまだ流行とはならず、年度によって数クラスが取り組む程度で継続していた。それが、昭和47年度からどのクラスも車輪を備え巨大な出し物を造り、それを競うようになって黄金期を迎える。全長15mの出し物も登場し、制作時には工事用の足場をドッックにしていたそうだ。この時期は「宇宙戦艦ヤマト」「ガンダム」「マシンガーZ」「火の鳥」「スターウオーズ」などのテレビや映画の影響を受けたものが多い。
昭和53年度から国公立の共通1次試験が始まると、昭和57年度に学校側から「出し物」に台車の禁止などの規制がかかり、長さや高さが教師によって指導されていった。学校側からすれば3年生が9月になって仮装行列にうつつを抜かしている場合ではない」と「仮装行列は勉強のじゃま」いうことになった。これで一挙に衰退して、「出し物」はなくなり踊りをしながら行進するものになった。平成元年から大学入試センター試験」が始まり、他運動会も体育祭も盛り上がりが亡くなり、沈滞する。
今度は、平成5年度から県教委による「魅力ある学校づくり事業」が始まり、運動会や文化祭が活性化させる策がとられ仮装行列で学校の個性を出そうとするようになると、一時的に復活していく。とこrが、時代の流行として衣装に凝ったり踊りが中心になりして、かつてのように盛り上がることはなったそうだ。
著者は、「仮装行列」の盛衰を述べながら、隆盛期と衰退期の生徒の成績を比較し、盛り上がった時期の方が成績がよく、卒業後も同窓会がよく開催されて生徒同士の結束も強い、という。懸命に「仮装行列」に打ち込むことが集中力も付いて、高校生活の強烈な思い出になって結束力も強まるのだろう。
田舎の高校で集中することもなく、ボッーと過ごして成果もなかった私としては、この小論文に共感できてた。そして、この小論文の着眼点の面白さが、昔読んだ本の視点に似ていると思った。その本は『カノッサ屈辱』(ホイチョイプロダクション)。確かテレビ番組にもなっていたはずだ。
現代の商品やサービスを、日本史や世界史の講義をするようにもじって構成し、大学教授風の役者が進行するものだった。あの役者の顔は浮かぶのだが、名前が思い出せない。その本をもう一度読もうとして、家の書棚を探したのだが見つからない。あの本はどこにいったのかなあ。
岡山県立朝日高校は、昭和期から体育祭(運動会)の仮装行列の派手さで有名だったようで、その始まりと隆盛期、衰退期を通して歴史的な変遷を考察している。朝日高校は、県立岡山第一高等学校と県立岡山第二女子高等学校が統合して昭和24年にスタートしている。
この小論文では、時代を区切って5期にし、次のような章立てにしている。1期−「純粋」仮装行列の時代(昭和24〜40年度)、2期−「出し物」が練り歩いた時代(昭和41〜56年度)、3期−「出し物」が消えた時代(昭和57〜63年度)、4期−「仮装行列」の沈滞(平成元〜5年度)、5期−3年生による「仮装行列」復活、復活はしたが…。(平7年度〜)。※平成6年度は仮装行列が行われていない。
仮装行列は、朝日高校の前進、第一高等学校時代から恒例行事だったらしく、昭和20年代〜30年代にかけての仮装行列はテーマに沿った衣装と化粧をして行進する程度だった。例えばテーマを「職業めぐり」(昭和26年度)や「世界のカップル集」(昭和34年度)などにして、衣装と化粧を施して仮装し行列になって行進するものだ。「白虎隊」(昭和28年度)や「幕末の動乱」(昭和37年度)のような時代絵巻物的なものやその時代の事件などがテーマになっているものが多かった。
ところが、昭和41年代になって巨大な構造物が突如として出現する。これを「出し物」と呼び、リヤカーを台車にして木材や麻袋などを使い、高さ4mものだったそうである(「トロイの木馬」3年G組)。この時期はまだ流行とはならず、年度によって数クラスが取り組む程度で継続していた。それが、昭和47年度からどのクラスも車輪を備え巨大な出し物を造り、それを競うようになって黄金期を迎える。全長15mの出し物も登場し、制作時には工事用の足場をドッックにしていたそうだ。この時期は「宇宙戦艦ヤマト」「ガンダム」「マシンガーZ」「火の鳥」「スターウオーズ」などのテレビや映画の影響を受けたものが多い。
昭和53年度から国公立の共通1次試験が始まると、昭和57年度に学校側から「出し物」に台車の禁止などの規制がかかり、長さや高さが教師によって指導されていった。学校側からすれば3年生が9月になって仮装行列にうつつを抜かしている場合ではない」と「仮装行列は勉強のじゃま」いうことになった。これで一挙に衰退して、「出し物」はなくなり踊りをしながら行進するものになった。平成元年から大学入試センター試験」が始まり、他運動会も体育祭も盛り上がりが亡くなり、沈滞する。
今度は、平成5年度から県教委による「魅力ある学校づくり事業」が始まり、運動会や文化祭が活性化させる策がとられ仮装行列で学校の個性を出そうとするようになると、一時的に復活していく。とこrが、時代の流行として衣装に凝ったり踊りが中心になりして、かつてのように盛り上がることはなったそうだ。
著者は、「仮装行列」の盛衰を述べながら、隆盛期と衰退期の生徒の成績を比較し、盛り上がった時期の方が成績がよく、卒業後も同窓会がよく開催されて生徒同士の結束も強い、という。懸命に「仮装行列」に打ち込むことが集中力も付いて、高校生活の強烈な思い出になって結束力も強まるのだろう。
田舎の高校で集中することもなく、ボッーと過ごして成果もなかった私としては、この小論文に共感できてた。そして、この小論文の着眼点の面白さが、昔読んだ本の視点に似ていると思った。その本は『カノッサ屈辱』(ホイチョイプロダクション)。確かテレビ番組にもなっていたはずだ。
現代の商品やサービスを、日本史や世界史の講義をするようにもじって構成し、大学教授風の役者が進行するものだった。あの役者の顔は浮かぶのだが、名前が思い出せない。その本をもう一度読もうとして、家の書棚を探したのだが見つからない。あの本はどこにいったのかなあ。
10月7日(日)に「宇喜多☆フェス」が岡山城であった。今年で4回目。今までで最も盛り上がったと思う。鉄砲隊の演武や「秀家」と「豪姫」を選ぶコンテストなどの昨年から実施しているイベントに加え、今年は鎧兜姿の武士らが表町商店街を歩く「宇喜多軍大行列」が実施されたほか、秀家が流された八丈島から舞踏団が来岡して踊りを披露した。八丈島の特産品や、秀家をかくまった鹿児島県垂水市の特産品を販売するブースも出店した。特に今年は、熱烈な宇喜多ファンの漫画家・大竹さんが描いたラベルの宇喜多の地酒が発売になったほか、宇喜多を描いた大竹さんの新刊や宇喜多の記念切手も発売された。直接話を聞いた福岡の女性のグループのほか、関西など県外からのお客さんも多かった。岡山のイベントになりつつあるという実感があった。
15年ほど前、「岡山城築城400年」事業をやるまでは、岡山城といえば「池田の殿様」だった。宇喜多は一般にはこれほど知られていなかった。築城400年(1997年)のとき、放送局や広告代理店と組んで「宇喜多」を紹介するマンガを作成し、岡山県下の小学校や中学校に寄贈した(現在の『劇画 戦国武将・宇喜多四代』)。このときの小中学生は今では社会人になっている。余談だが、「小学生のときにあのマンガを読んだわ。あの豪姫の顔が印象的で憶えているわ〜」と、岡山城事務所で働く若い女性に言われたことがある。7日にも若い男性から、「宇喜多のことはこのマンガで知りました」と言われた。私はその都度、静かに感動に包まれた。その女性は今年の「宇喜多軍大行列」の列に加わって行進し、その男性は会場のブースで宇喜多グッズを販売していた。若い人の記憶に残っていたのがうれしい。
以前から宇喜多をテーマにした、岡山の恒例イベントをするべきだと思っていた。というのは、近年、若い人を中心に夏に実施される「うらじゃ」が盛り上がっていたからだ。「うらじゃ」は、花火と共に岡山市の夏祭りを代表するイベントとなっている。踊りと「温羅(うら)化粧」といわれる独特の化粧が特徴で、若者らは真夏の炎天下、路上で演舞を披露する。この「うらじゃ」のルーツは「温羅(うら)伝説」に登場する鬼ノ城に住んでいたとされる「温羅」をモチーフにしている。岡山のイベントが、総社の温羅をテーマにするのはどうかと思っていたし、若者しか参加できず年寄りも参加できるイベントが必要ではないかと思っていた。岡山で街づくりをテーマにできる人物は、岡山に城下町を定めて発展させた宇喜多しかいない。
4年前から「宇喜多秀家☆フェス」(岡山商工会議所内)に関わらせてもらって、今年の内容にまでなったのは岡山市や商工会議所をはじめ、たくさんの関係者の努力の賜物だ。しかしこれからが大事ともいえ、「うらじゃ」は参考になる点が多いように思う。
「うらじゃ」は今年19回目を迎えた。12年前に市民ボランテアによる「うらじゃ振興会」を組織し、「岡山の街づくりと人づくり」をコンセプトにしている。今ではすっかり子ども達が知っているイベントで、わが家の保育園児も「うらじゃ」を歌っていた。地域の子どもたちに定着していく策をとっているのだ。5年、10年、それ以上も続けて地域の恒例イベントにするには、子どもたちを巻き込むことだ。そうでなければ、長続きはしない。
15年ほど前、「岡山城築城400年」事業をやるまでは、岡山城といえば「池田の殿様」だった。宇喜多は一般にはこれほど知られていなかった。築城400年(1997年)のとき、放送局や広告代理店と組んで「宇喜多」を紹介するマンガを作成し、岡山県下の小学校や中学校に寄贈した(現在の『劇画 戦国武将・宇喜多四代』)。このときの小中学生は今では社会人になっている。余談だが、「小学生のときにあのマンガを読んだわ。あの豪姫の顔が印象的で憶えているわ〜」と、岡山城事務所で働く若い女性に言われたことがある。7日にも若い男性から、「宇喜多のことはこのマンガで知りました」と言われた。私はその都度、静かに感動に包まれた。その女性は今年の「宇喜多軍大行列」の列に加わって行進し、その男性は会場のブースで宇喜多グッズを販売していた。若い人の記憶に残っていたのがうれしい。
以前から宇喜多をテーマにした、岡山の恒例イベントをするべきだと思っていた。というのは、近年、若い人を中心に夏に実施される「うらじゃ」が盛り上がっていたからだ。「うらじゃ」は、花火と共に岡山市の夏祭りを代表するイベントとなっている。踊りと「温羅(うら)化粧」といわれる独特の化粧が特徴で、若者らは真夏の炎天下、路上で演舞を披露する。この「うらじゃ」のルーツは「温羅(うら)伝説」に登場する鬼ノ城に住んでいたとされる「温羅」をモチーフにしている。岡山のイベントが、総社の温羅をテーマにするのはどうかと思っていたし、若者しか参加できず年寄りも参加できるイベントが必要ではないかと思っていた。岡山で街づくりをテーマにできる人物は、岡山に城下町を定めて発展させた宇喜多しかいない。
4年前から「宇喜多秀家☆フェス」(岡山商工会議所内)に関わらせてもらって、今年の内容にまでなったのは岡山市や商工会議所をはじめ、たくさんの関係者の努力の賜物だ。しかしこれからが大事ともいえ、「うらじゃ」は参考になる点が多いように思う。
「うらじゃ」は今年19回目を迎えた。12年前に市民ボランテアによる「うらじゃ振興会」を組織し、「岡山の街づくりと人づくり」をコンセプトにしている。今ではすっかり子ども達が知っているイベントで、わが家の保育園児も「うらじゃ」を歌っていた。地域の子どもたちに定着していく策をとっているのだ。5年、10年、それ以上も続けて地域の恒例イベントにするには、子どもたちを巻き込むことだ。そうでなければ、長続きはしない。
岡山の戦国武将の・宇喜多直家、その子の秀家、秀家の母おふく、3人のイラストをラベルにした3種の日本酒が完成した。蔵元は、おふくとゆかりの真庭市勝山にある御前酒蔵元辻本店。昨年10月、岡山城で開催したイベント「宇喜多☆フェス」に間に合わせるために急きょ開発したものを、今年は大幅にリニューアルした。
イラストはプロの漫画家・大竹直子氏に依頼した。彼女はもともと宇喜多直家のファンで宇喜多家史談会の会員。宇喜多家の菩提寺・光珍寺の住職から紹介してもらい、電話で依頼すると快く引き受けてくれた。彼女の近著は、『備前軍記』などに載る宇喜多のエピソードをモチーフにした『阿修羅の契』(小池書院)がある。
ボトルやパッケージも一新され、ボトルの色や中身の酒も3人の人物像に合わせている。ラベルの違いだけでなく、中身も味わってほしい。歴史好きの人なら土産品にしても喜ばれそうだ。蔵元では岡山空港や岡山駅周辺の売店でも販売し、様子をみて好調なら海外での販売も検討していくという。
「宇喜多地酒」が発売になったことで、今回の私のミッションは終了となったが、1つ気になることがある。宇喜多を盛り上げると、それをあまり快く思わない人たちがいるからだ。備中出身の三村姓の方だ。400年以上前、明禅寺合戦で2万の備中の三村軍は5千の宇喜多軍に破れた。これを契機に備中松山城の三村家は城を追われる。今も「宇喜多にやられた方だからなあ」と言い、宇喜多は嫌いだという態度だ。破れた側からすれば、400年以上前のことでも心に引っかかることがあるらしい。
そういう私も、吉備を滅ぼした大和政権のことを、快く思っていない。1500年以上も前のことでもそうなのだから、400、500年前のことなら致し方ないか。吉備の後裔である岡山県人の多くはすっかり忘れ、許してしまっているのか。天皇制批判を、吉備が大和にやられたことを論拠にする人を知らない。天皇や皇太子などが来岡すれば、日の丸を振って歓迎している。私も県庁通りに旗を持って見に行った。しかし、何となく好きではないのは、古代からのしこりが消えてはいないからなのだ。1000年を超えてもそうなのだから、400年ぐらいで、「きれいさっぱり水に流して忘れてくれ」というわけにはいかないのである。歴史上、日本各地に戦があって勝者と敗者がある。勝てば官軍だが、やはり敗者の気持ちを思いやる必要があるよねえ。
それに日本だけではなく世界には、長年の恨みつらみが残る根深い問題がある。宗教や民族、土地の問題も絡まっていがみ合い、あと1000年は和解しそうもないパレスチナ問題もアイルランド問題もある。最近の中国や韓国との領土問題など、100年も経たない満州事変や太平洋戦争に根があり、解決の糸口は見えそうにない。あの太平洋戦争はなんだったのか、戦国時代に起こった各地の合戦はなんだったのか…。
そんな歴史の話などをしながら、新しい地酒で一献傾けよう。
イラストはプロの漫画家・大竹直子氏に依頼した。彼女はもともと宇喜多直家のファンで宇喜多家史談会の会員。宇喜多家の菩提寺・光珍寺の住職から紹介してもらい、電話で依頼すると快く引き受けてくれた。彼女の近著は、『備前軍記』などに載る宇喜多のエピソードをモチーフにした『阿修羅の契』(小池書院)がある。
ボトルやパッケージも一新され、ボトルの色や中身の酒も3人の人物像に合わせている。ラベルの違いだけでなく、中身も味わってほしい。歴史好きの人なら土産品にしても喜ばれそうだ。蔵元では岡山空港や岡山駅周辺の売店でも販売し、様子をみて好調なら海外での販売も検討していくという。
「宇喜多地酒」が発売になったことで、今回の私のミッションは終了となったが、1つ気になることがある。宇喜多を盛り上げると、それをあまり快く思わない人たちがいるからだ。備中出身の三村姓の方だ。400年以上前、明禅寺合戦で2万の備中の三村軍は5千の宇喜多軍に破れた。これを契機に備中松山城の三村家は城を追われる。今も「宇喜多にやられた方だからなあ」と言い、宇喜多は嫌いだという態度だ。破れた側からすれば、400年以上前のことでも心に引っかかることがあるらしい。
そういう私も、吉備を滅ぼした大和政権のことを、快く思っていない。1500年以上も前のことでもそうなのだから、400、500年前のことなら致し方ないか。吉備の後裔である岡山県人の多くはすっかり忘れ、許してしまっているのか。天皇制批判を、吉備が大和にやられたことを論拠にする人を知らない。天皇や皇太子などが来岡すれば、日の丸を振って歓迎している。私も県庁通りに旗を持って見に行った。しかし、何となく好きではないのは、古代からのしこりが消えてはいないからなのだ。1000年を超えてもそうなのだから、400年ぐらいで、「きれいさっぱり水に流して忘れてくれ」というわけにはいかないのである。歴史上、日本各地に戦があって勝者と敗者がある。勝てば官軍だが、やはり敗者の気持ちを思いやる必要があるよねえ。
それに日本だけではなく世界には、長年の恨みつらみが残る根深い問題がある。宗教や民族、土地の問題も絡まっていがみ合い、あと1000年は和解しそうもないパレスチナ問題もアイルランド問題もある。最近の中国や韓国との領土問題など、100年も経たない満州事変や太平洋戦争に根があり、解決の糸口は見えそうにない。あの太平洋戦争はなんだったのか、戦国時代に起こった各地の合戦はなんだったのか…。
そんな歴史の話などをしながら、新しい地酒で一献傾けよう。
プロフィール
HN:
執筆:金澤健吾
性別:
男性
自己紹介:
吉備人出版 取締役。
方谷研究会。
おかやま自転車ネット。
twitter/kibitoman
岡山の古代・中世・戦国・近世など郷土史大好き。岡山本も大好き。自転車、ジョギング、自然好き。ジャズ、ロックなど音楽好き。子育て中。
方谷研究会。
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