忍者ブログ
吉備人出版・金澤健吾の編集日和です。
<< 12  2025/01  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31    02 >>
[92]  [93]  [94]  [95]  [96]  [97]  [98]  [99]  [100]  [101]  [102
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

絵本『キミが泣いていたら』を発刊した。この本が校了する直前に、お笑い芸人「次長課長」の河本準一氏の母親が生活保護を受けていた問題が週刊誌に載った。あまりのタイミングの悪さに驚いた。というのは、この絵本の帯に彼の顔写真と彼のメッセージが載せてあり、事実関係によっては差し替えないといけないと思ったからだ。

著者は河本準一氏と中学校が同じで後輩にあたり、著者自身がよしもとの事務所を通じて推薦を依頼する手紙を出し、承諾の返事が来ていた。河本氏のメッセージを許可なく変更するのは不可で、宣伝物に使うには媒体ごとに事前の許諾がいるのという制約付きだった。芸能人の推薦があってもなくても、売れ行きにはそれほど影響ないだろうと思ってはいたが、著者の要望もあり帯は仕上げていた。

新聞に載る週刊誌の広告の見出しやネットのニュースを見る範ぐらいだが、この問題がどう発展するのか、注目していた。やはり「不正受給」ということはないようだった。生活保護の受給者が増え増大する生活保護費を抑制しようとする政治家の思惑もあり、芸人の話につけ込んで、本人を見せしめのように叩いている。そんなふうにしか見えない構図だ。

そうこうしているうちに、河本氏が観光大使をしている津山市の市長が「観光大使の適正に欠けるのでは」と発言。頼むときだけ都合よく頼んでおいて、週刊誌で話題になったというだけで、切りたがっている。「それなら最初から頼むなよ」とこの市長には言いたいものだ。その後、河本氏は観光大使を辞任している。河本氏は、津山市を良く言うことはないだろう。

この絵本のコンセプトは、「心に雨が降っている人を晴れにする」だ。傷ついて落ち込んだりした人を元気づけるためのプレゼントに使ってもらいたい、というのが著者の想いだ。著者は主人公のテルボンを2年前からキャラクターにして販売し、その売上げでカンボジアに井戸を建設する慈善活動をしている。既に7基の井戸を建設している。著者の社会貢献の気持ちは強い。

今回の件も「河本氏の心は今が一番雨が降ってるから支えたい」という意向を持っている。数少ない岡山出身の芸能人だ。著者と一緒になって応援できればと、帯はそのままで進めることにした。
とにかく河本氏自身に、この著者の気持ちが伝わることを願っている。
PR
 岡山市の門田界隈にある山陽女子高校では、2年前、学生さんと教師らが学校周辺にある岡山の近代化の歴史的遺産を知ってもらおうと、「門田かいわい歴史散策プロジェクト」を立ち上げた。このプロジェクトの事業を、1.散策できる地図の作成と配布、2.ホームページの作成、3.異人館跡の説明看板の設置、4.郵便局に設置してもらえる風景スタンプの作成、の4つとした。

 まず、1のホームページは作成された。http://www.sanyogakuen.net/kadota/index.html
 2の地図は、授業や課外活動で学生さんらが歩いて調べ、図書委員が中心になってイラストマップの作成の準備をしていった。学区周辺の町内会や企業、神社の方々の協力を得て、史跡の解説文も載せることにした。描いたイラストはスキャナーでデジタル化し、パソコンで編集した。出来上がった「歴史散策マップ」は、地域の商店や地図の紹介ポイントなどに置いてもらい配布した。

 4の風景スタンプとは名所などの風物を描いたもの。岡山中央郵便局では、後楽園と岡山城、白桃と鶴のものがある。生徒たちは「石井十次像と玉井宮、東湖園に咲くコオホネの花」のデザインを考案し、近所の東山郵便局に提案した。郵便局は受け入れてくれ、現在も東山郵便局に行けば、このスタンプを押すことができる。

 この高校生らの活動やそれを支えた教員らの指導は、すばらしいと思う。多くの学校で地域の歴史的遺産を学生に教える指導をしてほしいし、その見本ともいえる活動である。

 最初に目標に掲げた4つの活動のうち、3の「異人館跡の説明看板の設置」だけが実現されていない。学生らは看板の設置をするために、岡山市役所にお願いに行っている。公園課や教育委員会の各課、企画課などを次々に紹介されている。これはいわゆる「たらい回し」をされたのだろうと推察する。結局、市には看板作成の予算がなく、文化財の指定にもなっていないことを理由に、公園に看板を設置することはできないと解答しているのだ。看板を設置するには、申請者が「占有料金」を払い、永遠にその看板の管理をしていかないといけないと言われたそうである。この経緯は、「門田かいわい歴史散歩プロジェクト」のホームページに簡単に紹介されている。http://www.sanyogakuen.net/kadota/katudou_04.html

 その活動にかかわった学生らは既に卒業し、この看板が設置される可能性は今のところない。卒業生らは、行政の対応を不可思議と思っただろう。これでいいのか? 岡山の文化行政。
明治期、岡山市の東山に外国人居留地ができて20年ほど後、第六高等学校(六高)の英語教師としてガントレットが岡山にやってくる。石井十次がいた三友寺に、6年間ほどいた。奥さんは恒子と言う日本人で、日本初の公式国際結婚だったそうだ。国際共通語エスペラント語も教えたため、岡山は早くからエスペラントが盛んになった。

ガントレットはパイプオルガンの演奏家でもあった。妻・恒子の弟は山田耕筰で、耕筰の青年期は姉夫婦を慕って岡山で過ごしている。ガントレットはこの山田耕筰にパイプオルガンを教え、耕筰はその後、音楽家になった。「夕焼け小焼けの赤とんぼ♪」の童謡「赤とんぼ」を作曲したのはこの山田耕筰。

また、ガントレットは、その山田耕筰を相手に卓球をしている。これが日本で卓球をしたという最も古い記録である。ガントレットが暮らしていた三友寺の門前には、「ピンポン発祥の地」の碑が建てられている。新刊『門田界隈の道』には、パイプオルガンを演奏するガントレットや若い山田耕筰、「ピンポン発祥の地」の石碑の写真も掲載している。

本書には、楽器をもった数人が写った写真も載せている。これは音楽を演奏するバンド(グループ)で、楽器は持ってはいるが奏でたりせず、その楽器の音を口で出したらしい。なんちゃってバンドだけれど、みんな大マジメな顔で写っている。岡山で最初のバンドか、コーラス隊か。

さらに、ガントレットは、部品を海外から取り寄せて機関車模型をつくって走らせ、六高の学生に自慢している。このガントレットさん、かなりの「オタク」だと私は推測している。岡山にいた最初の「オタク」か。

知れば知るほど面白い門田界隈。詳しくは『門田界隈の道─もうひとつの岡山文化─』http://p.tl/TaQL-
「門田界隈」というのは、岡山市中区門田屋敷、門田本町、門田文化町、門田屋敷本町とその周辺のこと。ここに明治期、3棟の異人館が建っていた。今はその建物はないし、岡山に外国人居留地があったことを知る人も少ない。

当時、その館には、少し前までは禁教だった基督教を布教する異人が住んでいたたわけだから、わずか3棟でも特異な存在だったはずだ。そこに来たアメリカ人は家族と一緒に住み、女性もいた。ここに住んだ宣教師は基督教を広めながら、貧民や孤児の救済活動など、これまでになかった新しい活動を進めていった。当時の基督教への偏見と差別は厳しかっただろうと想像できるが、明治12年にこの異人館が建って岡山基督教会所ができると、15年には高梁市、17年に笠岡と倉敷天城、19年に落合、20年に津山と次々に教会が建っていった。これに加えてカトリック系の教会もできている。

この門田エリアには、石井十次が孤児院を開いた三友寺や早くから英語教育や女子教育に取り組んだ山陽英和学校(現在の山陽女子中高校)がある。二人とも洗礼を受けている。石井十次らを軸に、少年感化教育の留岡幸助(高梁)や日本救世軍を創設した山室軍平(旧哲西町)などの社会活動家をはじめ、大原孫三郎(倉敷)、野崎武吉郎(児島)などの「大物」へネットワークは広がっていく。異人館が建ったことで、この地域の吸引力が強まった期間があった。

新刊『門田界隈の道─もうひとつの岡山文化─』では、そんな外国人と日本人の交流や活動を紹介している。(http://goo.gl/lp3r3) ここにいた外国人も影響を受けて行動を起こした日本人もみんな当時は20代から30代前半の人たちだった。若い人にも伝えたい内容だ。また、街歩きも楽しんでほしいエリアで、本書には散策マップの載せている。
誕生日を迎えて、また歳をとった。自分は今、坂を上っているのか下っているのか…。体力的には下っているが、気力はまだまだ。子育ては半ばまでも至らず、まだ前半戦。先は長いので、まだ一歩一歩ずつ上っている感覚だ。

それにしても、時間があっという間に過ぎていく。1日が、1週間が、1年がビュンビュン過ぎ去って行く感じがする。1日を大事に過ごしたい。「一期一会」の言葉が身にしみる。よいものをつくって残し、気持ちよく有意義に活動したい。還暦まではまだ遠いが、その後は古希(70)、喜寿(77)、傘寿(80)、米寿(88)、白寿(99)と続く。自分はどこまで行けるか。

さて、新刊『白寿を意識するには非ざれど』の著者は現在93歳。若い頃からのことを振り返り1冊にまとめられた。文章を書くことが刺激にもなり気持ちの整理になったそうだ。奥様もお元気で喜寿を迎えられる。本は知人や親族、ご子孫に生き方を伝える何よりの「証」となる。そんな本づくりのお手伝いができて、私も充実感のようなものをいただいた。http://goo.gl/YDoKY
プロフィール
HN:
執筆:金澤健吾
性別:
男性
自己紹介:
吉備人出版 取締役。
方谷研究会。
おかやま自転車ネット。
twitter/kibitoman
岡山の古代・中世・戦国・近世など郷土史大好き。岡山本も大好き。自転車、ジョギング、自然好き。ジャズ、ロックなど音楽好き。子育て中。
最新コメント
[09/02 おおもりひろみ]
[02/26 岡山商科大学はあなたの夢を叶えます!]
[09/04 r1pb1jm142]
[05/20 omachi]
[12/23 やぶひび]
最新トラックバック
ブログ内検索
最古記事
(09/15)
(04/01)
(04/08)
(04/15)
(04/24)

Copyright (c)ほぼ週刊 編集日和 All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog  Material by Pearl Box  Template by tsukika


忍者ブログ [PR]