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吉備人出版・金澤健吾の編集日和です。
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行替えがなく段落の区切りがない本は文字に圧倒され、取り付く場所がなく、読む気がしなくなる。短い段落が連なり、一定の間隔で小見出しがつき、強弱ある方が読みやすい。文字の大きさや、文字間、行間も、読む人のことを考え、本文はデザインより読みやすさを優先する。カバーは内容が表現されるように、そして著者の好みも取り入れて地味にでも派手にでも。

表紙をめくったら見返しの紙。扉があって「はじめに」がある。目次があって、章の扉。1章が終わって一区切り。2章の扉。2章が終わって一区切り。休んで気分転換。そして3章…。本文の最後はひと呼吸してあとがき。それから最後の最後に奥付を。本の戸籍を明記する。

人生もずっと走りっぱなしは疲れる。時々小さな休憩を入れながらメリハリをつける。強弱をつけて歩んでいくのがいい。入学や卒業、就職や転勤、結婚や出産、転勤や退職、病気など、節々に区切りを付ける。制服や住む場所、名前が変わることもあり、環境が変わる。そんなときも一呼吸が大事。気分を変えて進んでいけばいい。最後は慌ただしくせず、静かに、墓標を建てる。

本をつくる最初は、全体の構成を考える。特に内容が評伝や自分史などのものの場合、人生を本に凝縮する作業になる。それに、本の構成やつくりも人生そのものものだなあ、と最近思う。だから大事につくりたい。
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岡山県総社市新本の赤米の神饌(しんせん)。国司神社に赤米をお供えするこの神事は、岡山県指定無形民俗文化財に指定されている。この赤米神事が残るのは日本に3カ所。鹿児島県種子島と長崎県対馬と総社市だけ。

新本の国司神社は小さな神社だが、実家が近くにあり子どものころ、境内でよく遊んだ。神社の隣に赤米を植える専用の田んぼがあり、ここで田植えをし、秋に収穫すると神社に奉納して、村人らにおにぎりなどにして振る舞っていた。そもそも赤米は古代米で、弥生時代に稲作が伝来したころ、白い米と赤い米があったといわれる。実際、この国司神社の近くで弥生時代の住居跡が見つかっている。

この赤米に目をつけた元アイドル的ロック歌手がいた。地元でも関心が薄くなり、一人で盛り上げてきていたのだが、ここにきて大きな援護射撃をしてくれたのが相川七瀬である。なんと総社市長から「赤米大使」に任命された。今までこの人に何の関心もなかったが、どうやらこの人は本気のようである。目のつけどころがすばらしい。神事として残る赤米の3カ所の産地を訪ね、この6月には新本小学校の子ども達と一緒に給食を食べ、体育館で講演をして自作のアカゴメソングを歌った。二児の母で妊娠8カ月にもかかわらず、田んぼに入って手植えで赤米の苗を植えたのだそうだ。今後、相川七瀬の親がもし生活保護を受けていて問題になろうが、少々世間を騒がせようが、犯罪を犯さない限り擁護していかなけれならない。片岡総社市長にもその覚悟でいてもらいたい。

相川七瀬が国司神社に来た日、参道にはマスコミの車が列をなして駐車していたそうだ。これまで、年に1回収穫のニュースが小さなベタ記事にはなっていた。ところが今年は、カラー写真入りでドンと大きく、テレビまでも報道していた。私はこれらの大きく取り上げたマスコミ報道を観たとき、あれだけ地味だった神事がよくもここまでメジャーに…と感激した。ところが、妻に話したが、あまり関心はないらしく「ふ〜ん」という程度。職場でも一部の人は、「また赤米のことか」という感じ。

私が言いたいのは、単に芸能人が新本に来たということではない。時代が変わったということである。3・11の要因も大きいと思うが、東京中心で動いていたこれまでの時代と違い、確実に地方へ目が向き始めている。赤米の「事件」はその一つの象徴に過ぎないということだ。
小さな自転車の会の事務局を2008年からやっている。昨年2月、岡山市長から「自転車先進都市おかやま」を目指すと発表があった。市は外部のコンサルタント会社に政策案の策定を依頼し、有識者懇談会を立ち上げた。半年ほどかけて、この春、自転車政策の実行戦略(案)を策定し公表した。この案についての市民の意見を聞くために、岡山市は約1ヶ月間(5月20日〜6月18日)、「パブリックコメント」を募集した。通称「パブコメ」というやつだ。応募件数は22人(29件)だったそうだ。そのうちの一人が私。政令指定都市70万人のうちの22人が意見を出したわけだ。それが今回の政策案の修正に、どれほど影響するのか分からない。

岡山市が募集していた最近の「パブリックコメント」のレスポンス数と比較すると−。「岡山市男女共同参画社会の形成の促進に関する基本計画「第3次さんかくプラン」(素案)は9人、「岡山市都市計画マスタープラン」(素案)は7人、「岡山市一般廃棄物(ごみ)処理基本計画」(原案)は5人、「岡山市文化芸術振興ビジョン」(素案)は13人、岡山市産業振興ビジョン(素案)は11人、「岡山市地域防災計画」(修正案)に至っては1人。22人というのは、反応がよい方なのか。

今回の自転車に関する「パブリックコメント」を募集していることは、私も知らなかった。市の人に「ホームページに出していますから」と言われたので知ることができた。それではと岡山市のホームページを見てみたが、それがどこにあるのか分からない。あきらめかけたときに小さく「パブリックコメント」の文字が目に入り、「これか!」と思ってクリックした次第。「パブリックコメント」ということばを知らない人には、ゼッタイに見つけられない。「パブリックコメント」のすぐ下に「アンケート」の文字があった。クリックすると「自転車アンケート」という文字があり、アンケートを募集していたらしいが、もう応募期限の1月15日をとっくに過ぎている。半年経っても放置されている。結果はどうなったのか…。

「パブリックコメント」の募集件数がいくら少なくても、パブコメで募集したのだからと、行政側は「これで良し」とするのか。市民は意見募集をしていることを知らないと意見は出せない。パブリックコメントの「制度」があっても、市民の意見が聞けなかったら意味はない。パブコメの件数が少なければ、公聴会や市民討論会の開催など、ほかにも方法はあるのでは。

確かに多くの人の意見を吸い上げるのは難しい。が、執行が決まれば市民の税金を使うことになるのだ。このままでは、「アリバイ」のためのパブリックコメントといわれかねない。
ちなみに、大阪都構想のパブリックコメントは3900件だったとか。
日本のキリスト教プロテスタントの発祥地に、3つの源流があるそうだ。明治初期の札幌と横浜と熊本。それぞれ洗礼を受けた一門を札幌バンド、横浜バンド、熊本バンドと呼ばれる。

札幌バンドには、「少年よ、大志を抱け」のクラーク博士に感化を受けて信者になった日本人に内村鑑三や新渡戸稲造などがいる。横浜バンドは、私の知っている人はいない。熊本バンドは5年ほどで閉鎖するが、ここにいた青年の金森通倫や徳富蘇峰らは岡山にも来ており、岡山との関係は深い人物だ。金森通倫は熊本が閉鎖すると岡山に来て、岡山教会の初代牧師になる。徳富蘇峰も岡山に来ており、今も蘇峰が植樹した木が残っている(『門田界隈の道』巻頭の地図参照)。その後、熊本バンドの出身者たちは同志社英学校に進み、さらに日本のYMCAの設立にも関与している。

金森通倫や徳富蘇峰らがなぜ岡山に来たか。岡山にプロテスタントの宣教師が住んで布教活動をして、その影響を受けていた日本人が多くいたからだろう。岡山は「熊本バンド」よりも長く続いたし、地域社会への影響力も大きかった。そういう意味で、「岡山バンドと言ってよかろう」と『門田界隈の道』著者の濱田氏は言う。

日本全体からみると、キリスト教プロテスタントの発祥地を3基点とした当時は、岡山の影は薄かった。ただ、『門田界隈の道』は、キリスト教プロテスタントの発祥地の3基点に、岡山を加えて4基点とする提起をしていると思う。

ただ、今、「岡山バンド」と言っても、岡山オリジナルのズボンのバンドとか、岡山の草野球で流行っているバンドとか、岡山で結成したオヤジバンドなどと思われ、地元岡山でも受け入れられにくいかもしれない。
NHK大河ドラマ「平清盛」のタイトル文字を書いた女流書家・金澤翔子さん。テレビで彼女が書を描く姿は見ていたし、同姓ということもあって気になっていた。瀬戸内市立美術館で開催された「ダウン症の女流書家 金澤翔子展-魂の世界-」に行きたかったが、結局行けなかった。

彼女の書は個性的で力強い。まさに威風堂々。障がいがあっても、特別な才能を発揮している。書家の母親の影響が大きいようだが、家族や周りの方が支えたのだろう。それに応えて壁を乗り越えてきた本人の努力も大きいに違いない。「元気をもらう」などと言うのも月並みすぎるが、こちらが励まされる。視覚障害者のピアニスト辻井伸行さんもそうだが、自分の生き方を反省させられる。

オリンピック選手やプロのスポーツ選手も素晴らしい。彼らの努力も並大抵のものではないだろう。その競技の派手さや美しさ、勝敗に目を奪われて感動する。エンターテイメントとして楽しんでしまう。それらとは違って障がい者の生き方を見ていくことは、日常的なことで学ぶことが多い。

母親の泰子さんが金澤翔子さんを生んだのは40歳を過ぎていた。わが家でも次女を出産した妻は、それとほぼ同じ年齢だった。出産にリスクがあることは承知していた。妻も必要以上の検査はせず、生まれた子どもを育てることにしていた。リスクの確率を医者から言われても、それが100%でなければ検討のしようがない。病気になる確率が100人に1人とか、1000人に1人とか言われても、どうしようもないのだ。自分かもしれないし、誰かかもしれない。だからこそ病気なった人がいたら、その社会が温かく受け入れ支えることだ。

金澤泰子さんは娘を生んだ後、「希望がないから育てられない。絶望の淵にいる」と思っていたそうが、「時を経て多くの経験をした今は、あれはおかしな思い込みであったと思う」と言う。この辺りの母親の心境は『天使の正体』(かまくら春秋社)など、泰子さんの著書に詳しい。

些細な事で恐縮だが、私は字が下手なせいで人前で文字を書くのが嫌いだ。ペン習字や毛筆を習うなどして克服すればよかったが、それをしなかった。できるだけワープロで書いて、手書きを避けてきた。反省してしまう。私には反省すべきことも、努力すべきことも多すぎる。
プロフィール
HN:
執筆:金澤健吾
性別:
男性
自己紹介:
吉備人出版 取締役。
方谷研究会。
おかやま自転車ネット。
twitter/kibitoman
岡山の古代・中世・戦国・近世など郷土史大好き。岡山本も大好き。自転車、ジョギング、自然好き。ジャズ、ロックなど音楽好き。子育て中。
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