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吉備人出版・金澤健吾の編集日和です。
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NHK「龍馬伝」」も大詰めである。龍馬は誰が殺したか? この答えを岡山出身の歴史家・磯野道史氏が出している(『龍馬史』文芸春秋)。新撰組とか土佐藩とか言われ、「謎」とされてきたことを、古文書を紐解いて結論を出している。龍馬を暗殺したのは京都見廻組であると。
京 都守護職は会津藩が拝命され、会津藩主・松平容保(かたもり)は京都の治安維持活動をする新廻組や見廻組を配下においた。会津藩の公用人などを務めて会津 藩上層部にいた手代木直右衛門(てしろぎすぐえもん)が、龍馬暗殺の命令を見廻組の与頭(組頭)佐々木只三郎(たださぶろう)に伝えた。
見廻組の実権を握っていた佐々木只三郎は、数人で近江屋に押し入り龍馬と中岡慎太郎を暗殺したというのだ。龍馬殺害の実際の実行犯は、京都見廻組の一員・今井信郎(のぶお)が最有力候補。
見廻組の実験を握っていた佐々木只三郎は、手代木直右衛門勝任(かつとう)の実の弟。姓が換わっているのは手代木が養子になっていたため。その手代木は明治維新後、香川県や高知県の副知事などを歴任し、岡山県で各地の郡長や区長を勤め岡山で亡くなっている。
手代木直右衛門(勝任)のことは、小社の既刊『岡山人じゃが 2009』で「津山城跡の石垣を守った旧会津・米沢藩士」(日高一著)の中で触れている。龍馬も遠回りではあるけれど、岡山と関係があったんですね。
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プロフィール
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執筆:金澤健吾
性別:
男性
自己紹介:
吉備人出版 取締役。
方谷研究会。
おかやま自転車ネット。
twitter/kibitoman
岡山の古代・中世・戦国・近世など郷土史大好き。岡山本も大好き。自転車、ジョギング、自然好き。ジャズ、ロックなど音楽好き。子育て中。
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