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吉備人出版・金澤健吾の編集日和です。
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3世紀前半(200〜250年)の日本で、最も大きな墓は倉敷市にある楯築遺跡とされている。卑弥呼の死は「魏志倭人伝」に250年頃(247年)のようだから活動したのは250年以前。楯築遺跡の被葬者が活躍した時期と重なるではないか。この「楯築遺跡は卑弥呼の墓」説は、小社が14年前に発刊した『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』(薬師寺真一著)で詳しく紹介している。
楯築遺跡は弥生墳丘墓とも呼ばれ、弥生時代の終わりの墓とされる。次の古墳時代に出現する○と△の形を付けたような前方後円墳の形はしていない。円墳の左右に羽が生えたような形で、前方後円墳が誕生する前の姿。これが古墳時代になると前方後円墳の形になってくる。面白いのは、奈良の箸墓古墳とそっくり2分の1のスケールで造られた古墳が吉備にはある。浦間茶臼山古墳がそれで、吉備で最も古い大型の前方後円墳といわれる(小社の『吉備の古墳 上』)。
畿内で最古の前方後円墳と同じ尺度の古墳が吉備に…。なぜ? おお〜、ミステリー! 同じ設計図があったのか? 大和と吉備の関係は? このあたりも吉備の古代ロマンの入り口の一つ。吉備の勢力が大和に入っていった「吉備東遷説」もぜひ知っておきたい(小社の『前方後円墳と吉備・大和』近藤義郎著)。
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執筆:金澤健吾
性別:
男性
自己紹介:
吉備人出版 取締役。
方谷研究会。
おかやま自転車ネット。
twitter/kibitoman
岡山の古代・中世・戦国・近世など郷土史大好き。岡山本も大好き。自転車、ジョギング、自然好き。ジャズ、ロックなど音楽好き。子育て中。
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