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吉備人出版・金澤健吾の編集日和です。
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「門田界隈」というのは、岡山市中区門田屋敷、門田本町、門田文化町、門田屋敷本町とその周辺のこと。ここに明治期、3棟の異人館が建っていた。今はその建物はないし、岡山に外国人居留地があったことを知る人も少ない。

当時、その館には、少し前までは禁教だった基督教を布教する異人が住んでいたたわけだから、わずか3棟でも特異な存在だったはずだ。そこに来たアメリカ人は家族と一緒に住み、女性もいた。ここに住んだ宣教師は基督教を広めながら、貧民や孤児の救済活動など、これまでになかった新しい活動を進めていった。当時の基督教への偏見と差別は厳しかっただろうと想像できるが、明治12年にこの異人館が建って岡山基督教会所ができると、15年には高梁市、17年に笠岡と倉敷天城、19年に落合、20年に津山と次々に教会が建っていった。これに加えてカトリック系の教会もできている。

この門田エリアには、石井十次が孤児院を開いた三友寺や早くから英語教育や女子教育に取り組んだ山陽英和学校(現在の山陽女子中高校)がある。二人とも洗礼を受けている。石井十次らを軸に、少年感化教育の留岡幸助(高梁)や日本救世軍を創設した山室軍平(旧哲西町)などの社会活動家をはじめ、大原孫三郎(倉敷)、野崎武吉郎(児島)などの「大物」へネットワークは広がっていく。異人館が建ったことで、この地域の吸引力が強まった期間があった。

新刊『門田界隈の道─もうひとつの岡山文化─』では、そんな外国人と日本人の交流や活動を紹介している。(http://goo.gl/lp3r3) ここにいた外国人も影響を受けて行動を起こした日本人もみんな当時は20代から30代前半の人たちだった。若い人にも伝えたい内容だ。また、街歩きも楽しんでほしいエリアで、本書には散策マップの載せている。
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プロフィール
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執筆:金澤健吾
性別:
男性
自己紹介:
吉備人出版 取締役。
方谷研究会。
おかやま自転車ネット。
twitter/kibitoman
岡山の古代・中世・戦国・近世など郷土史大好き。岡山本も大好き。自転車、ジョギング、自然好き。ジャズ、ロックなど音楽好き。子育て中。
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