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吉備人出版・金澤健吾の編集日和です。
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『吉備の古代史事典』の著者・薬師寺先生の逆鱗(げきりん)に触れてしまった。

少し前、薬師寺先生から電話を受けた際に「人物など項目の抜けがあってはいけないので、見ておいて」と言われていた。校了が近くなったようなので、担当の山川氏からゲラを見せてもらい索引を見ていくと、「H古墳」があった。これは、同じ著者の既刊『考えながら歩く吉備路 下』(2009年刊)にも同じ表記で載っており、以前、読者で古墳好きのW氏から「あの古墳には名前が付いているよ」と言われていた。

この古墳はサントピア岡山総社(旧厚生年金休暇センター)の東にある古墳で、近くには「秦上沼古墳」がある。昨年、そのサンピアの西の山の尾根で、巨大な前方後方墳「一丁グロ古墳」が発掘された。この現地説明会で配布された総社市教育委員会のレジメ資料には、「秦上沼古墳」の近くに「秦大グロ古墳」が記してあり、その他に近くに古墳の表記はない。この資料は私も見ていた。W氏は、「H古墳」は「秦大グロ古墳」と名前があるのに、なぜイニシャルで呼ぶのかと思っていたのだ。

『吉備の古代史事典』のゲラを見て、私が「H古墳には名前がついているのでは」と発言したことがお叱りを受ける発端だった。電話口で先生は、「つまり、わしが書いていることが信用できんということか」「君はH古墳に行ったんか。見て言いよんか」と言いながら次第に興奮しはじめた。私は思わず「総社の教育委員会で確認してみます」と言った。これがさらに火に油を注いだ。先生は激怒して「この古墳は3人しか知らん。近くにあった神社の宮司と近藤義郎先生(考古学者)。二人とも亡くなったんで、わししか知らん古墳じゃ。総社の教育委員会が知るわけながろうが。わしを疑って教育委員会の方を信用しとんじゃな」と。もう収拾がつかなくなっていた。私は謝るしかなかった。そのうちに電話が切れた。

しばらくして夕方、再び先生から電話があった。「君は謝りに来る言うといて、来るんか来んのか。来るんなら何時にくるのか。黙って人の家にくるなあ、失礼じゃろうが!」。私は「すぐ行きます。6時半には行きます」と伝えて、山川氏と二人で薬師寺邸に向かった。(※薬師寺邸でのことは9月6日山川ブログ参照)。失礼な発言をしたこと、教育委員会に確認しようとしたことなどを深くお詫びをした。しばらくすると、先生は少し穏やかな表情になって、「H古墳」のことを説明をしてくれた。

大和には特殊器台の破片が出る古墳が、箸墓古墳と中山大塚古墳、西殿塚古墳の3つある。吉備では矢藤山古墳と宮山古墳の2つ。かつて、この「H古墳」に近藤義郎先生と連れ立って行ったとき、近藤先生は土器を拾って「都月型か、その前の型かもしれんなあ」と言ったという。もしこの「H古墳」を発掘して宮山型の特殊器台が出たとなれば、吉備でも3つとなる。重要な前方後円墳古墳だという。

このことを私なりに解釈すると…。「H古墳」を発掘調査して特殊器台のことがはっきりすれば、全国に普及していった前方後円墳の発生に吉備が深くかかわり、吉備とヤマト政権との深い関係を解明することになる。もし宮山型特殊器台が出たとなれば、吉備とヤマトの関係を示す物証が吉備に1つ増えることになり、最古の前方後円墳が大和にあるのか、吉備にあるのかも分かることになるかもしれない。日本考古学史上、極めて重要な問題を秘めていることになるわけだ。

説明を受けた我々は、薬師寺先生の「H古墳」へのこだわりに納得し、あれほど怒った理由も理解できた。そこへ奥さんがお茶を出してくれ、菓子を土産にしてくれた。日が暮れて退席するころには、薬師寺先生はいつもの穏やかな笑顔になっていた。

いずれにしても「H古墳」は、敬愛する近藤先生が指摘したままになっている極めて重要で、思い入れのある古墳だったのである。そう思うと、薬師寺先生の思い入れはこの「H古墳」だけではなく、全ての項目が同じ比重で書かれていると想像できる。『吉備の古代史事典』の一つひとつの項目は先生の礫(つぶて)である。項目説明は単なる解説はなく言霊(ことだま)だ。さらに言えば、項目は「薬師寺考古学」の結晶の「粒」であり、事典は薬師寺先生が書き込めた約700個の言霊の集積である。

内容的にも、吉備の考古学を語るときこれら用語をマスターしておけば、考古学者とだって議論できる事典になっている。入手したらまず神棚にお供えし、いつも側に置いておきたい。
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プロフィール
HN:
執筆:金澤健吾
性別:
男性
自己紹介:
吉備人出版 取締役。
方谷研究会。
おかやま自転車ネット。
twitter/kibitoman
岡山の古代・中世・戦国・近世など郷土史大好き。岡山本も大好き。自転車、ジョギング、自然好き。ジャズ、ロックなど音楽好き。子育て中。
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