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吉備人出版・金澤健吾の編集日和です。
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2月×日
工事中
山田方谷は、50歳代の時に病気をする。この症状について医師の見解を聞きに行った。応接の部屋には南洲翁(西郷隆盛)「敬天愛人」の書が懸けられていたので、歴史の好きな医師なのだろうと推察した。話の最後に、山田方谷の晩年の症状を伝え、病状診断をお願いしら、快く引き受けてくださった。『山田方谷全集第一冊』に、「腫疾ニ罹リ、手足梢腫ル」、「病勢頗る進ム」と記述されており、翌年に73歳で亡くなっている。さて、「腫疾ニ罹リ」を何の病気と診断するのか、楽しみ。
2月×日
吉備路文学館に立ち寄る。2月10日(日)~6月2日に開催される「生誕130年記念 内田百閒―古里岡山を訪ねて―」の準備で忙しそうだった。内田百閒の直筆原稿や書軸、初版本や資料や遺品など、ほとんどのものは岡山県郷土文化財団が所蔵するので、同財団のスタッフも加わって展示をしていた。展示は百閒が特に好んだ乗り物にも焦点を当てるようで、個人所有のミニ列車「百間阿阿房列車」も展示出され、実際に走らせて楽しませてくれるそうだ。今回初公開となるものも多いとか。期間中に私も足を運んでみよう。
2月×日
小社から2000年に刊行した『吉備の古墳』下巻には、造山古墳の墳長を360メートルとしている。岡山県古代吉備文化財センターの所長だった葛原氏の『吉備考古論考集』では約360メートルとある。改定した『新版晴れの国おかやま検定公式参考書』には、造山古墳の墳長は350〜360メートルとした。現在、岡山県観光連盟のホームページには360メートルとしている。測量結果で360メートルより小さいと出たが、どこが端になるか確定できなかったのだろう。今年、岡山市文化財課に確認したら、350メートという。造山古墳が縮んだ?
2月×日
所用のため吉備津神社の社務所を訪ねた。通されたのは応接の座敷の間。壁に飾られた絵を見て驚いた。高さ2メートルはある大きさの猿田彦の絵が掛けられていた。よく見ると左下に「天然」の銘。これは吉備中央町出身の妹尾天然。昨年、妹尾天然を顕彰する地元の方からの依頼で、天然の生涯を描いたマンガ本を納品していた。地元の生家跡には、石碑が建立されている。天然の作品は、足守の龍泉寺や後楽園外苑荒手茶屋にあると聞いている。それにしても、威風堂々とした立派な猿田彦だった。
2月×日
県立図書館で、昭和14年の岡山市内で起こった火災の日付を確認するため、マイクロフィルムを見る。山陽新聞の前進である合同新聞と大阪朝日新聞で確認。マイクロフィルムは大阪朝日新聞のものを確認した。専用の器械にフィルムを設置し回転させて見る。山陽新聞はプリントした綴りがあったので、紙で確認。しかし、いくら見ても見つからない。何度も確認しているうちに、検索ができたら簡単に見つけ出せるのにと、じれったくなってくる。マイクロフィルムはアナログフィルム。早くデジタル化してほしいものだ。
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プロフィール
HN:
執筆:金澤健吾
性別:
男性
自己紹介:
吉備人出版 取締役。
方谷研究会。
おかやま自転車ネット。
twitter/kibitoman
岡山の古代・中世・戦国・近世など郷土史大好き。岡山本も大好き。自転車、ジョギング、自然好き。ジャズ、ロックなど音楽好き。子育て中。
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